株式会社タマディックの拠点がどうして名古屋にあるのでしょうか?航空機の開発が積極的に我が国で行われた時期は1957年に遡ります。

GHQが航空機の製造禁止を全面的に解除したからです。

そして、通産省と大手の航空機メーカーが乗り出しました。

同じ1957年5月には「財団法人 輸送機設計研究協会」が官民合同で設立されました。

小型タイプの旅客輸送機の仕様研究と基本設計がスタートしました。

そして株式会社タマディックの創立と同じ年に「日本航空機製造株式会社」が設立されました。

本格的に国産小型旅客機YS-11の開発が開始することになります。

株式会社タマディックも協力を要請されました。

プロジェクトに参画することが決定。

急遽7名のグループを編成して名古屋へ出張し、エンジニアのメンバーとして出席しました。

◇名古屋連絡事務所を「名古屋事務所」に格上げ!

名古屋では1960年に入りビジネスが急拡大して社員数も増えました。

その当時は「図面を納入する」というソフト面の設計・製図に特化したスタイルでした。

しかし、取引先から「設計だけでなく完成品を納品して欲しい」希望があがり製作部門の設置をしました。

このことで東京と名古屋で設計から製作まで一貫して引き受ける事業体制ができました。

これがタマディックの現在の製作部門になっています。

そして、電子情報システム部の主要な取引先が名古屋市北部にあるので、名古屋大曽根事務所を開設することになります。

新事務所は広さも十分で、設計作業のエリアや各種の試験機材を揃えた電子機器の試験評価エリアも併設されています。